おはこんばんちは!
チクボンです。
本格的な暑さですね。においがもう。夏休みのやーつですよ。
切なくなるぜ、全く。なんつってー。
最近は又吉直樹さんの最新作『劇場』を読みました。
くそミーハーなんです。
後半は夜更かしして一気に読んじゃいました。
ううう、胸痛ですね。
『劇場』の公式ホームページです。↓
あらすじを書こうとしましたが、やっぱりまっさらな状態で読まれた方がいい気がするのでサボっちゃいましょう!
感想としては良かったです。不思議な感じです。割と小説としてはありがちすぎる設定やテーマなんだけど、少しの浅はかさも感じさせずありきたりさも感じませんでした。
ですがこの手の本はやはり読んでいて辛いですね。社会不適合者的な自分の存在を認めてくれると同時に、隠しておいた自分の存在を認めることにもなるわけですから。
「やめて!やっとこさ社会性を身に付けて前に進もうとしているのだから!もうやめて!」的な。恥ずかし!恥ずかし!
正直、知らなくていい感情なのかもしれない。共感できない方が幸せ。それを読んでる自分に酔っていたりもするのかな?「俺は特別な人間だぜ」欲求を満たしてくれるツール?中学生がグロい漫画とか読んで「俺マジやべーのよんでるぜ」ってどや顔してくる的な?
というもろもろの感情はどーでもいいですね。割とこういう感情は「はいはい、よく考えてるね。すごいすごい。」といなしておくのがいいわけですが、こういうどうでもいい感情をウジウジ考えるのが純文学なんだよね?たぶん。ねぇ純文学ってなに!?教えて誰か。林修先生あたり。激モヤ悶々丸になっちゃうぽよ☆
社会不適合者的って言葉を使っちゃったけど、純文学がアウトローとかそういう考え方もよくないですよね。
社会の中に自分たちがいるわけじゃなくて、それぞれの中に社会っていう丸いのがポンとあるだけで、おんなじ大きさで自分の世界も、家族の世界も、夫婦の世界も、学校の世界も、会社の世界もある。自分の中にたくさんあってどれも大事でどれもくだらない。
だから純文学は社会的にタブーなことが書いてあるけど、それを読んだり書いたりするから社会的な生活が送れない、社会的な人間になれないなんてことは絶対になくて、むしろ、片方を深く知ることは、どうやってももう片方も深めなくちゃいけないわけだから、色々揺れる時期はあるにせよ最終的はかなりの安定したバランスの取れる人間になれると思う。色々な世界に対して、ひとつひとつ真摯に向き合っていきたいと思っています。
ところで今度バーベキューしにいきます。新潟に。
そういやこの前千葉でバーベキューしてきました。
なんならあなたもバーベキュー!
(なに書いてるんだ私は…(。´・ω・`。) )
ばいちゃ