おはこんばんちは!
チクボンです。
雨の日が多いですね。
そして東京は一段と寒くなりました。
さてさて前回の続き。
AI(人工知能)の話。
今回は 『人間が介在しないといいものはできないのではないか』ということについてです。
前回の冒頭で紹介したこちらの記事、(日経電子版に入っていないと見れない)
観客の表情で満足度測る マイクロソフトなど、AIで分析 :日本経済新聞
に書かれている観客の表情で満足度を図るというものですが、
まぁ成功するでしょうね。人間の感覚なんて当てになんてならないものですよ。
他にも人によっては推理小説やキャッチコピーなど、人間にしかできないと思われるものもAIができるようになるといっています。
というのもAIはただの機械とは違う側面があります。
こちらのサイトを参考にして記載します。→人工知能って何?
AIの特殊な点は主に2つ。「推論」と「学習」です。
「推論」とは「知識をもとに,新しい結論を得ること」です.
「学習」は何か機械が勉強をする感じがしますが,ここでは「情報から将来使えそうな知識を見つけること」です。
これが人間のそれと同等のものと思ったら大間違い。
例えば将棋ロボットは今となっては勝てる人はいないレベルになっていますが、あのロボットがどうやってあそこまで強くなったか。それは歴代のプロたちの様々な棋譜を読み込ませた上でそのロボット同士を高速で対戦させ続け、とんでもない量の対戦データを積み、人間では何回生まれ変わっても打てない数の対局をこなしているからです。1日に何千回も機械同士に対戦させ続けてたら同じ対局をしてしまいそうですが、お互い学習しているので毎回違います。
小説やキャッチコピーをAIが制作できるという人がいるのは、今までの優れた作品を読ませ、理解させ、また感想のデータを入れればどんどん精度が上がると思い言っているのでしょう。
AIが普及すれば今まで機械にできなかった『考える』仕事、『知識・応用』の仕事もなくなっていくでしょう。
ただ、一つわからないことがあります。それはAIをつかってうまくいかなかったとき、またAIが出した答えの理由がわからなかったとき、人はどうすればいいのかということです。
その時人は「AIが言うからそうなんだろう」「AIが言って失敗したからしょうがない」というのでしょうか。
『サイコパス』というアニメがあります。簡単に内容を説明すると、
人工知能が、あらゆる判断を的確・合理的にしてくれる豊かな社会を築き上げた日本。しかし、人工知能の判断によってしか人を裁くことができない警察に対して挑戦的な犯罪が所々で起き始め、それの手引きをしているのは一人の男。その男は「人は自らの意思に基づいて行動した時のみ価値を持つ」といい、人工知能に判断をゆだねる社会に問題提起をするようにテロ行為をしていく。
人工知能によって適正を見出され警視庁公安課に配属された主人公の常守朱は、犯人を追いながらも現代の社会が本当に正しいのか葛藤する。
というような感じ。ずいぶん割愛していますが。
実に考えさせられる内容で普段アニメを見ない方もきっと面白いと思います。とても好きなアニメです。
「人は自らの意思に基づいて行動した時のみ価値を持つ」
もし、人工知能によって良い結果がもたらされた時、または悪い結果がもたらされたとき、それは"自分の失敗"、"自分の成功"とは言えません。
人工知能が発展したとき、人はその点で生きる意味を守ることができるのでしょうか。
ちょっと書きたりないけどここまでにしておきます。
下のニュースも参考になります。
かつてワープロができたとき、たくさんの文選工(文字を押すハンコのようなものを文章の文字の数だけ集めて活字の文章を印字する仕事)が職を失ったといいます。時代の流れだからしょうがないといっても、文選というのは当時耳の聞こえない人の一般的な仕事だったそうでそのような人は他の職が簡単には見つからなかったそうです。人工知能によって仕事なくなったとき、人は人工知能に使われる立場ではなく、使う立場にならなくてはいけません。しかし、実際そのような立場になれる人ばかりではありません。
人はここで本当に「豊かな社会」とはどういうことなのか、「生きる」とはどういうことなのか、という議題を突き付けられているのかもしれません。
では
ばいち