おはこんばんちは!
チクボンです。
最近少し寒くなってきましたね~
冬のにおいがしてきました。
冬は好きなんです。なんだろう、なんだか懐かしく感じるんです。
最近思うことは、人は目の前のことをどのくらい認識できているのか。ということ。
人と話すとき、実はその人のイメージしか見ていないのかもしれない。過去のその人しか見ていないかもしれない。思い込みのその人しか見ていないかもしれない。
相手の言うことに相槌をうっていたとしても、本当は聞いていなくて、自分の知ってる何かを見ているだけかもしれない。
毎日会う人の”今日”の顔をちゃんとみているだろうか。いつも通る道にどんなものがあるか見ているのか。
当たり前のはなし。
必要な時に必要なものだけが見える。それは動物の本能であり、効率的に働くことのほうが多い。
だけど、その対象が自分になったときひどく虚しく感じる。
相手は惰性で生きてるだけで、こちらを見ていない聞いていない。
それはお互いとてもやりがちなことで、特に自分はそういうところが多いと思う。
もし、この社会のことがわかった、この仕事のことはわかった、この人のことは分かったと、そう思ったときは、それは喜びではあるが、その喜びは今後も継続的に発生していくものだと知っておかなければいけない。そしてそれを味わわなくてはいけない。
すべてを取っ払った一つの生命体として考えると、”どう感じるか”ということ以外に確かなものはなかなかない。
見ること、聞くこと、触ること、それに対して自分どう感じてどんな気持ちになるのか。言いようによっては自分という存在はそれを感じる媒体に過ぎないかと思う。
周りの人や風景に対して思い込みを重ねてありのままを感じないというのはあまりにもったいない。幸せとは何だろうかというシンプルな疑問はなかなか答えは出るものではないけど、一つの考え方として自分がどう感じ、同時に周りになにかしらの感じを与えることによって世界と自分がつながっている、他人と自分がつながっているということを実感することではないだろうか。
というようなこと。ほとんど読んだ本そのまんまだけどね。
そうそう、自分がどんなことしたいかずっと考えていたんだけど、やっとぼんやりと答えが見つかったような気がしたんです。
良い集団を運営することがしたい。
良いって何をもって良いなのか。集団としての良いと、それを作っている個人としての良い。そこをずっと考えていたい。
きっと自分は一流の作家とか、一流の画家とか、一流のプログラマーとかそういうものになるのもいいけど、そうなりたいとも思うけど、そうなれたとしても、それだけでは満足できないと思う。どこかで虚しさを感じてしまうと思う。
それがどのくらいの規模なのか、なにをやるのか、それはまだわからない。
けど、今すぐにでも始められるし、一生終わることはないものだと思う。会社一つ建てるとか、なんとか協会を作るとかそういうだけの話ではない。そういうのももちろんありだけど。
面白くいきたいな~
日々、頑張ります。
ではね。
ばいちゃ