万物に片想い!!(byチクボン)

プログラマーのIT関係ない個人的なブログ

ポスト

うちの近くには郵便ポストがない。もっともすぐ近くにあるのにまだ発見出来てないだけかもしれないが。

今日も少し離れた郵便ポストまで15分ほど歩いて投函しに行った。真夜中の住宅街は静まり返っていて、鈴虫の声が聞こえた。

少し先を歩く老夫婦の奥さんが「今日は早く帰れて良かったね」と旦那さんに言っていた。

この辺りは少し駅前から離れただけで畑がある。そのお陰で少しだけ空が広い。

石で出来た大きなカエルの像がある。小さい子供は本物だと思うのだろうか。「石だから動かないよ!」とクールに言ったりするのだろうか。

ポストまでたどり着き封筒の口に〆印をつけ忘れたことに気付いた。まぁもう遅い。えいやとポストの左の口に放り込んで踵を返した。

少し歩いて、自分がとてもゆっくり歩いていることに気づく。先ほどの老人の歩き方がうつったのか。なんとも人生を分かりきったような、余裕ぶってるというか、嫌な感じの歩き方だ。

よく考えれば数年前はそうしようと思ってもそうできなかったように思う。それは進化というよりも変化というべきで、一概に良くなったとも言い難いかもしれない。

まだこの歳で必死さや没頭感というものを手放してしまうことは、大いに問題なのではないだろうか。

数年前の自分は、いつだって問題の真っ只中だった。頭のなかは言葉だらけ。深刻でないことはない、死活問題だらけだった。

それは間違った思想だと思い、そこからの脱却を試みた人生だった。だがその思想が今となっては一種の力だったのだと思える。

こんなことを言っていてもまた私に死活問題と思える難題が降りかかる可能性はある。だがそれで怯える時期はもう終わった。幽霊の正体も分かったしライオンも同じ生き物だと分かった。生き延びる方法を一つづつ身に付けたのだ。

しかしそれは動物としてだ。人間は大人になってくにつれてどんどん動物になっていくのかもしれない。お金がなければ飯が食えないこと、仕事が夢とイコールでないこと、未来の実態は日常であるということ。

そういう一つ一つを見つけるうちに、日々飯を喰うのが人生そのものという、動物と同じ生き方になり、またそれが当然であると受け入れるのである。

そう考えると、人は悩んでいない状況が正解だと思うものだが、悩んでいても正解ということもあるのかもしれないと思った。

人生は面白い。今こうしてあれこれ考えて歩いてはいるが数年前より良くなったとも思ってる。むしろそう思うことがほとんどだ。しかし周りの何も目に入っていなかったあの頃が、今こうして広く見渡せる夜の空の一つの星のように、光っているようにも思えるのだ。