万物に片想い!!(byチクボン)

プログラマーのIT関係ない個人的なブログ

特別な普通のはなし

おはこんばんちは!

 

チクボンです!

 

最近インフル流行ってますねー。

私はおかげさまでなんとか大丈夫です。

インフルって予想以上に辛いんですよねー。

小学校の時とかインフルって休み扱いにならないし、みんなに同情してもらえるから羨ましかったけど実際なったら本当につらかった(**)

みなさまお気をつけくださいませ。私も気をつけます。

 

さてさて、文章を書くというのは本当に難しいものですね。特にこうやって自分の考えとして書くということはどうやったって語弊が発生してしまいそうな気がしてしょうがないです。

 

このブログを始めた当初に決めたブログの決め事を振り返ってみたいと思います。

①リアルな知人に話せない事だからブログに書くということはしない。

②すごい人と思われる事をねらって書かない。

③昔の話はしない

元の記事↓

ブログのはなし - 万物に片想い!!(byチクボン)

決め事の追加!のはなし - 万物に片想い!!(byチクボン)

 

なんか昔の記事を読むと今の自分よりしっかりしてるような気がしてきます…(汗)

①は守れてると思う。②③はちょこちょこ破ってると思う。

 

尊敬されたいっていう感情は確かに自分のなかにあると思います。これは明確にそう。それは凄い人だと思われたい、結局はモテたいってことでもあると思います。このブログのタイトルは『万物にモテたい』っていうのの裏返しであり、戒めでもあるわけです。

 

世の中の大抵の人は自分を肯定したいというのが行動理由で、言動の端々にその欲求が現れています。そんな自分のことしか考え無い人ばかりだから、他人のことを本当に親身になって考える人はなかなかいません。GTOの鬼塚みたいに生徒の為に命かけるような人とか。でもいざそんな人が目の前に現れたら。自分を肯定してくれる人が現れたらみんなその人に掌握されてしまいます。そうしたら自分自身の意志ではなく誰かの望む自分を生きなくてはいけなくなります。だから他者からの肯定を渇望することは危ない行為なんです。

 

その他者に肯定してほしいという意識が確かに私の中にあります。これはもう確実でその欲求は多分割と強い。そして今までの人生、肯定してくれた人がいたからこそ前に進めたし、絶望せずにすんだような気もする。

 

この相反する考えはどちらも本当だと思う。どちらかというと後者の方が一般的な考え方のような気がするが、そちらの考え方だけでは後々問題が起きる可能性が高い。特に二十代後半あたり、もう恋愛どうたら友情どうたらっていう話じゃなった時に。

 

じゃあ自分にとってどういう肯定がありがたかったかを考えると『積極的でない肯定』だと思う。パッとしない言葉だけど。普通の人間として接するくらいの肯定ということ。

 

けどなー『普通の人』なんていないわけだし、逆に言えばみんな『特別な人』なわけでしょ?じゃあ自分に出会ってくれた人は全員自分にとって特別な人だと思って生きていくのも一つの正しい姿のような気がするけどその結果相手に特別なことをする必要はないのだとしたら、要するに『特別な人だと思って普通なことをする』というのが一番いいスタンスなのか。

 

と今時点で思いました。

 

もう寝ます。

 

おやすみなさい。

 

ばいちゃ