万物に片想い!!(byいわしー)

役者でプログラマーでなまけもののブログ

amazarashiの武道館観てきたのはなし

おはこんばんちは!

 

チクボンです!

 

はろーはわゆー

寒さが本格的になってきましたね。

ヒートテックを買おう買おうおもっていつも忘れてしまいます。

朝着替える時に後悔するやつー

 

金曜日にamazarashiの武道館に行ってきました!

amazarashiを初めて聞いたのは高校生の時です。

秋葉原ヨドバシカメラに入っているタワーレコードでレジの裏に貼ってあった「NO MUSIC NO LIFE」のポスターの絵がめちゃくちゃよくて、「誰なんだろう」って気になるんだけどアーティスト名がちっちゃいもんだから遠くからだとよく読めなくて、けど恥ずかしくてレジの近く寄れなくて、けどやっぱ知りたくて、結局恥を忍んで近ずいて「あ・ま・ざ・ら・し…って英語じゃないんかーい!!!」ってなって、そっからチャリで上野のTSUTAYAにいって『ねえママあなたのいうとおり』と『ラブソング』と『アノミー』と『ワンルーム叙事詩』を借りてきたのが始まりです。

 

今回の武道館公演は『朗読演奏実験空間 新言語秩序』というタイトルで、普通のライブではなくてストーリーがあって文字通り朗読と演奏が交互に行われるライブでした。

特設サイト↓

www.amazarashi.com

MCは一切ないと言っても過言ではなく、「青森から来ましたamazarashiです」とか「ありがとう」とかいうくらいでした。

正直ここまで『作品』に寄せていたライブは初めて観ました。他のアーティストのライブでも冒頭とか要所要所でコンセプトムービーが流れたり、映画みたいのが流れたりってのはあったけど、やっぱりミュージシャンは芸能人でもあるわけだからその人自体が好きってファンのために「人間を見せる」って要素はどうしても必要になってしまって、だけどamazarashiは顔出ししないっていうスタイルが狙ってか狙わずか世界観を最大限に表現できる演出を可能にしたんだと思います。そして何より秋田ひろむさんの誠実さ、正直さ、まっすぐさがあってそのスタイルでもとても熱量の高いファンがあつまっていたのだと思います。

 

 

今回の新言語秩序のストーリーは、誰かを傷つけるおそれのある過激な言葉・ネガティブな意味を持つ言葉を「テンプレート逸脱」として規制する組織『新言語秩序』があり、そのメンバーの一人実多(みた)と、それに抗い「言葉をとりもどせ」という言葉を掲げ言葉の自由を訴える希明(きあ)の物語です。

amazarashiは私にとって羨ましい人です。それは私が普段考えて言わなかった事を大声で言うからです。多分私の思考はBUMPよりamazarashiの歌詞に近い気がしてっていったらamazarashiファンに「ゔぁ!何様だよてめぇ!」って言われちゃいますね。で、これは「私も考えてた事なのに言われちゃって悔しい」って意味も厚かましい事ながらあるんですけどそれに関しては私が何も行動しなかったからなのでしょうがないとして、言いたいのは、私が「テンプレート逸脱」を気にしていたから悔しいってことです。私は頭が悪いので文章を書く時頭からバーっと一気に書きます。そして読み返して7割ぐらい書き換えたりします。並べ変えたりもします。そしてそれを繰り返すのでとても時間がかかります。ある意味文章を書いてるいる自分と読み返してる自分は全く違う人で、書く時は頭のおかしい人で読み返す人は常識的な一般人です。文法がめちゃくちゃで話す順番もめちゃくちゃ。言葉使いもバラバラ。キャラもブレブレ。あらあらダメでしょって赤ペン入れる先生が必要なんですよね。でその赤ペン先生はこの言葉は赤ペンを入れるべきか入れないべきかって悩む時があるんですよ。すごいパワーのある言葉だけどそれは誰かを傷つけてずっと心に残るのではないかって。自分はインパクトを強めるために人を傷つける言葉を使っているのではないかって思うんですよ。承認欲求や目立ちたがりやなんじゃないか、変人と思われたがりなのか、「変わってるね」って言って欲しいのか、天才と言われたいのか、聖人と思われたいのか、「お前とはちがうんだよ」と言いたいのか、はたまた「あなたのこと全部わかってるよ」といいたいのか。そんなこと考えてるうちに「お前ほんと自分の事好きだな」って言って全部消しちゃうんですよ。で、やっぱり言いたい事をいうっていうのは勇気がいる事なんですよ。amazarashiの歌詞は語弊を招く表現はいっぱいあると思う。とか『タラレバ』の歌詞にある「もしも僕が王様だったなら嫌いな奴は全員消えてもらう。僕以外みんな居なくなるかもな。なら僕が消えた方が早いか。」ってある意味「俺周りの奴ら全員嫌いかも」って言ってると捉えられかね無いじゃないですか。もしかしたらこれを聴いた知り合いが傷つく、いや俺が嫌われるんじゃないかとか思うと思うんですよ。で「消えたい方が早いか」って言うのも「死にたい」という意味にもなって、もし本当に自分を思ってくれている人がいるならこれまた傷つける・がっかりされるんじゃないかって思う。自分だったらそのくらいでも勇気がいる。死ねとも死にたいとも言えない。

その結果私は言葉から逃げました。言葉は本体ではないという理論を作り出して、言葉はおままごとでしかないのだと、言葉は砂の城だと、言葉は意味付けという目に見えない透明なもので、あらゆる悩みが尽きないのは幽霊で悩むくらいバカな事をしているからと言って、悟ったみたいに言っているんですよ。

 

けど今回のライブを観て思ったんですよ。言葉ゆうんは愛おしいですね。言葉ゆうんは実際不確かですよ。結局信じるか信じないかの話ですよ。愛情、優しさ、約束も結局はあなたと私の中に同じものがありますよっていうのを信じるか信じないかの話ですよ。それって愛おしいですよね。だから自分の中にあるものを言葉にするってのは祈りなんですよね。

それを続ける秋田さんはやっぱり尊敬します。

 

今後ともamazarashiを聴き続けたいと思います。

 

ではっ!

 

ばいちゃ