万物に片想い!!(byチクボン)

プログラマーのIT関係ない個人的なブログ

幸せとかのはなし

おはこんばんちは!

 

チクボンです。

 

最近は暑いですね。

虫が多くなってきました。子供の頃より虫に弱くなってる。

 

幸せって何だろうとか考えたりしますか?

まあ「そんなの人によって違う」ってことは大体の方がわかってると思います。

じゃあ不幸って何だろうか。これも人によって違うのだろうか。

不幸については大体似通っている気がしません?

じゃあ不幸とは何なのか。辛いということか。

けど、辛いことって自動でやってくるじゃないですか。

自分がどんな風に生きてても、

地震は起きるし、

火山は噴火するし、

大事な人は死んじゃうし。

それをあきらめるしかないわけではなくて、そういうのを一つでも減らそうとすることは意味があると思いますが、少なくとも自分のせいじゃなくても、誰かのせいじゃなくても、人生に辛いことは必ず起きる。

だから辛いことが多いかどうかは幸せとは直接関係ないのではないか。だってそれで幸せが決まってしまったら100%運ゲーだから。

今までの人生が不運だったかもしれないけど、不幸ではなかったといいたい。

そう言えるはずだ。

 

不運と不幸は違うと思う。

 

だったら幸福とは何か。私はつながることだと思う。不幸とは逆につながらないことだと思う。つながる対象はなんでもよくて、世界のすべて。だから自分という存在を確固たる存在にすることは幸せに直結しない。やり方を間違えれば逆につながりを断つ行為にもなりえる。つながりを減らしてしまう大きな原因は『見えていない』ということ。大抵の問題の原因は『見えていない』から。主に物理的に。ただ、目に入っていても見えていない時がある。これは概念的なことではなくて、実際に見えていることを認識できていない。見えない原因は何か。それは『見えている』と思っているから。そしてみえるようにするにはどうしたらよいか。それは知っているものが増えればいい。例えば楽器を始めたら街で楽器を背負っている人が見えてくる。花の名前を知れば道端に咲くその花を見つけることができる。料理を作ればスーパーの食材が見えてくる。そしてまだまだ見えていないものがたくさんあるということがわかってさらに色々なものが見えてくる。学問というのは本来このような効果を狙ったものだが、逆に「これはこういうものなんです」という教え方だと逆に視野が狭くなる。思考を停止させ繋がりを減らす学問だ。思い込みに良いも悪いもない。思い込んだ時点で世界はストップする。

立派な人にならなくていい。偉い人にならなくてもいい。もし誰かからそういわれたとしても、それは必ず小さな世界の中での立派であり偉いだ。

 

何かに思い悩んでいる時、きっと見えてない何かがあるんだと思った方がいい。どうしたら見えるか。ここで頭を空っぽにする練習とかそういうのが出てくるが、そんなことは割と安定してから言えることだ。本当にきついときは頭の中から勝手に言葉が湧いてきて集中できなくて「ああ!考えちゃダメなのに!」ってなってより苦しくなる。

だからできることは散歩をすることと寝っ転がることだ。

生産性0でいいからそうするべきだ。生産性0で罪悪感を感じるが、罪悪感を感じたまま寝っ転がるのだ。全てはそっからだ。

 

最近つくづく思うのは自分は1日10時間くらい寝ないとダメな人間なんだということ。もしかしたら20時くらいに寝れば8時間くらいの睡眠で足りるかもしれない。理想の生活は朝4時に起きて1時間くらい散歩をして返ってきて朝食を食べてコーヒーを飲んで本を読んで8時から12時までの4時間だけ仕事をしてお昼ご飯を食べて昼寝をして16時くらいまで自由時間で、17時くらいに晩御飯を作り始めて18時くらいに晩御飯。お風呂に入って本を読んで20時に寝る。

 

という感じ。話が変わっちゃったね。連想ゲームみたい!

 

最後まで読んでくれてありがとうございます。

 

ばいちゃ