万物に片想い!!(byチクボン)

IT見習いの個人的なブログ

存在についての考察のはなし

 おはこんばんちは!

 

チクボンです!

 

皆様ゴールデンウィークは楽しんでおられますか?

わたしはこないだ友達と成り行き任せに新潟に行ってきました!

そばを食べて温泉に入っただけ!

まぁ普段の生活圏から離れて、違う空気を吸うだけでリフレッシュできるかと思います。自然も多いしね。

ちょっと思ったのが、普段東京で過ごしていると身の回りのものはほとんどが人工物ですよね?『なにかの目的があって作られたもの』ばかり。その中にいると「自分自身も何かの目的を持った、意味のある存在でなくてはいけない」という意識が発生してしまうけれど、その実人間の存在というものは、存在する原因はあるにしても意味や目的といったものは本来ないので、そこに「意味を持たなくてはいけない」または「意味があるはずだ」という強迫観念が生じてしまい、その結果辛くなってしまうのかもしれないと思いました。もし身の回りにあるものが山や川や大きな空、石、木など何かの目的があって存在するわけではないものであれば自分自身もそのような存在であるとすんなり受け入れる事ができるのかなと。ただこうして考えてしまうと東京で暮らすのが辛くなってしまうので、もともと人工物ばかりではない世界での問題を解決しようとして作り上げられた結果の中で過ごしているという本来の理由も忘れないようにしなくてはいけないと思いました。

 

この話にも少し関係するかもしれませんが、今回は存在についての私の考察をまとめて置こうかと思います。

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ことの始まりはよくある疑問「なんで生きてるの?」というはなし。

「どう生きるべき」「何が正しいか」という話をする人は誰の周りにも幼い頃から沢山いたかと思います。だけどそんな時「なんで生きている前提なの?生きている理由をすっ飛ばしてそういう話をされても全くわからないよ!生きてる理由を知らないで生きていくなんて無理!」という気持ちでした。「道徳」とか「哲学」とか「善悪」とかを考える以前のところでつまずいて、人間としてのスタートラインに立てていなかったんです。それをひとつひとつどうにかしようと考察したので、もし同じように悩んでいる方がいるのなら一つの考えとして参考にしていただければと思います。

◼︎存在の三段階層

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存在の三段階層

わかりにくいですが、下から順に第一層『現象層』第二層『クオリア層』第三層『プロトコル層』です。

 私がこのブログでもたまに書いている事ですが、この世界は「現象」と「意味づけ」でできていると思います。

例えば信号機というのは人や車を止める力がありますが、信号機が磁気などを発して人や車を近ずけないようにしている訳ではありません。集団の共通認識としてそれぞれの色の意味を理解することによって信号機は止める力を持っているのです。なので力の本体は受け取る側の意味づけにあり、信号機は「色のついた光を発する」という現象のみを持っています。

上の三段階層の意味合いに合わせて簡単に説明すると、

「色のついた光を発する」→現象層

「赤は立ち入り禁止、青は進んでよし」→プロトコル

となります。クオリア層は「それを見て何を感じるか」という層です。

なぜ階層にしたかというと私たちは通常第三層『プロトコル層』を主に認識していますが、その土台として『現象層』があり、その中間として『クオリア層』があるという構図だからです。

それを人間に置き換えて考えて見ます。それぞれの層について書いてみます。

①現象層

人間の人生というのは極端に言えば単なる自然現象にすぎないという考え方です。現象として生きている原因はあっても、生きている意味なく、あるとしたらそれはあくまで自分なりの意味付けをしているにすぎないということです。これを聞いてすんなり受け入れられる人と拒絶したいと思う人がいるかと思います。あるいはどっちの感情もあるという人もいると思います。私もどちらかと言えば拒絶したい側の人間でした。なぜあえてこのような事を書くのかというと意味づけの世界こそが世界の全てと思っているのは非常に危険だと思うからです。例えば魔女狩りであったり、テロであったり、アフリカの風習で少女はみんな性感帯を切り取られるということであったり、ガリレオが地動説を唱えて処刑されそうになったことです。今では地動説は当たり前の事実ですが、科学的な現象ではなく宗教という意味づけが全てになるとそれが処刑にも値する重罪になる例です。「人間は正しく生きるべきだ」という言葉は耳にタコができるほど聞いていると思いますが、それはこの現象層では全く関係ありません。一国の大統領も、スラム街の赤ん坊も死ぬ時には生命としての価値の大小、優劣はありません。生後間も無く亡くなった赤ん坊と100歳まで生きた方でどちらの方が意味があるか、立派な人間になる事が人生の意味だとしたら赤ん坊の方は生まれてきた意味がなかったのか、それらはこの層では語られません。どちらも「生きた」という現象としての価値は同じです。真面目に生きた人が長生きするわけではありません。悪い事をした人が早く死ぬ訳ではありません。例えば大きな津波がきて沢山の方が亡くなった時、その全ての人が悪人な訳はありません。人間を蟻に例えたとして、とても真面目でよく働き、面倒見がよく、誰からも愛される、そんな蟻がいたとして、ある日公園で人間の三歳児がその蟻をつまみ上げ、四肢をもいでペットボトルの水の中にいれ、溺れながら死んでいくのを見てケラケラ笑うという事もありえる訳です。人間の人生を自然現象として捉えた時、その価値は岩の裏の蟻、川の水、転がっている石、雲や木と変わりません。私が飯を食っている時、私は飯を食っているだけの有機生命体です。私が眠っている時、私は眠っているだけの有機生命体です。冷静に考えればそれが事実です。当たり前すぎてなかなか見えないところですが、全ての思想・道徳は大前提としてこの事実を認識した上で語られないと、意味づけの世界はいくらでも構築できますので、とんでもない物を作ってしまったり、またそこに迷い込んでしまう事もありえるかと思います。

 

 ②クオリア

クオリアというのは「感じ」という事です。クオリアについてはWikipediaに詳しく書かれていますので詳しく知りたい方は参考にしていただければと思います。→クオリア - Wikipedia

赤い色を見た時のあの感じ。海を見た時のあの感じ。笑顔を見た時のあの感じ。パンの匂いを嗅いだ時のあの感じ。あの曲を聴いた時のあの感じ。

それらは全て言葉では共有できず、かつ他人と本当に同じ感覚を持っているのか確証が持てない部分です。そしてそれこそが自分自身を認識する機能であり、生きている事自体という考え方ができます。自分はここにいて、こういう感覚を味わっているという事こそが存在という考え方です。

なぜこの感覚が現象層とプロトコル層の間に位置するのか。それは双方の影響を受ける層だからです。このクオリアというのは現象であるとも言えます。匂いであれば特定の物質がそれを受け取る器官に付着した時に特定の信号を脳に送る、色であれば特定の波長の光が視覚に入り脳に特定の信号が送られる。という現象です。それは鍵と鍵穴の関係のような物で、個々が持っている鍵穴の形状が違うことにより、インプットに対して心地いいと感じるか、不快と感じるかが異なってきます。しかし、これは意味づけによって左右されるものでもあります。おしゃれな人間でありたいという意味づけを自分に施している人はおしゃれな洋楽が良く聞こえ、対象的であるJポップアイドルの曲は不快に感じるかもしれません。また結婚という制度がありますが、それの前に子供ができるか、後に子供ができるかで周りがいい印象を受けるか、悪い印象を受けるかが変わってきます。現象レベルで考えるとその違いに善悪はなく『結婚』という意味づけに感覚が左右されている事がわかります。日本人は松茸の匂いをいい匂いと感じますが、海外では臭いと思う国もあります。そのほか犬を食べる国、虫を食べる国などありますが、それに対する嫌悪感というのもクオリアには違いないですが、それは肉体としての現象を越え、意味づけの世界にも関係してくる話です。人間の文化や生い立ちによっても違い、また鍛えたり変化する事もできます。クオリアは個としての人間の存在と密接に関係していますが、同時に集団の中での個である以上、集団での意味づけにも左右されるということです。

 

 ③プロトコル

プロトコルというのは簡単に言えば『お約束』という意味です。参考→プロトコル - Wikipedia

冒頭で書きました信号機を信号機足らしめる考え方です。常識、宗教、文化、法律全てはこのプロトコル層に含まれます。またもっと小さい組織、家族や友好関係での意味づけもここに含まれます。「道徳」とか「哲学」とか「善悪」という話ができるようになるのもここからです。常識、宗教というとどちらかというと悪いイメージがあるかもしれませんが、そればかりではありません。この層は『意味づけの層』とは別に『つながりの層』とも言えます。例えば『星の王子様』という物語がありますが、その主題は「大事なものは目に見えない」という話です。王子様が故郷の星に残してきた一輪のバラの花。大好きなバラの花。僕が星を飛び出したのはそのバラとケンカをしたから。それと同じバラが地球にも沢山咲いていた。バラは宇宙に一輪ではなかったんだ…。けど君たちはあのバラとは全然違うんだ!あのバラは僕にとって特別なんだ!一緒に過ごした時間があって、一緒に話した過去があって、いっぱい面倒をみたんだ!…という話があります。これは王子様がバラに対して意味づけをしている事になります。また星の王子様の中でキツネが出てきます。王子さまはキツネと仲良くなります。ある日キツネが言いました。「もし、君が、午後の四時に来ることになっていたら、三時ごろからぼくは嬉しくなる。そして時間がたてばたつほど、ぼくはどんどん幸せになるだろう。四時になっても君が来なかったら、もう心配で心配で、仕方がなくなる。幸福っていうのがどんなものか、ぼくは知ることになるだろう。だけど、もし、君がやって来る時間がわからなかったら、ぼくはいつ心の準備をすればいいのかわからない…だから、ものごとは、きちんと決めておくことが大事なんだよ。」これは時間という共通認識と約束があるからです。時間というのはそもそも考えてみれば良くわからない存在です。現象層で考えると、一個体としては時間という物はなく、ただこの今という瞬間に、記憶と予測を持った肉体が存在するというだけで、人生というのも幾許たる時間ではなくて、今この瞬間こそが人生という考え方になります。それはそれで個としては大事な考え方ですが、時間という考え方は2人以上になるとやっと意味を持ちます。常識というのもそうです。人には親切にして、親切にしてもらえたらお礼をいう。誰かに迷惑をかけてしまったら謝って、謝られたら許してあげる。そういう幼い頃に教わった集団としての基本的な約束事から始まり、集団として価値のある存在になるべきだという考えから、例えば高学歴で高収入の方が価値があるなどの考えに発展していきます。そして集団の意味づけとして悪い人は損をして、良い人は得をする世界であるべきだという願いもここで生まれます。この層は二人以上の約束の層であり、個の存在同士が繋がり、一緒に生きる為の層です。この層で定義される事は実態がない為に実は不確かなものばかりですが、集団で生きる私たちとしては世界の全てであり、自分自身の存在もこの層でどのようにあるべきかが主題になりがちです。そしてそれは決して間違ってはいません。ですがあくまで意味づけであるという事を忘れないようにしなければ現象層で書いたような悲惨な事になったり、裸の王様のようになったり、透明な迷路を作って、それに迷ったりする事もあります。大量殺人が悪いとされていても戦争時にはそれが正義になることもあります。洗脳や詐欺というのも出てきます。そして現象層でも書きましたが、このプロトコル層での定義が必ずしも現象としてプラスになるとは限らないという事を忘れてはいけません。それがわかっていればとても愛おしい層です。これこそが人間を人間足らせる層かと思います。

 

以上が私が今までの人生でまとめた存在についての考察です。どの層もそれこそが存在その物であると言えてしまうような内容ですが、それぞれ違うベクトルですのでごちゃ混ぜになっていると訳がわからなくなるので三段階層に分けました。

蛇足になってしまうかもしれませんが、第三階層『プルトコル層』の体系について説明させてください。

◼︎プルトコル層の体系~意味づけのネットワークとして~

プロトコルとはIT用語で度々使われる言葉で、主にネットワーク技術で使われます。

例えばURLの最初についている"http"ですが、これは「ハイパー・テキスト・トランスファープロトコル」の頭文字です。訳すと「web文書をやりとりする約束」です。

参考→httpについて

簡単に言えば「httpってついてたらホームページってことで扱ってちょ」というコンピュータ同士の共通認識って事です。 そしてネットワークと聞いて思いつく単語が『インターネット』だと思います。これは世界規模のネットワークという意味です。それに対して会社内のみ、病院や学校という組織内のみで繋がるプライベートネットワークの事を『イントラネット』と言います。そして自分のPCからしか参照できないデータ領域の事を『ローカル』といいます。インターネットに繋がるというのは何か特別な機能を付与しているように思ってしまうかもしれませんが、結局はコンピュータ同士が繋がるだけで、サーバというコンピュータに繋がる事でサーバに入っているサービスが使えたりテキストが見られたりするだけです。

なんでネットワークについて書いたかと言いますと、人間関係をこの関係でイメージするとすっきりするからです。

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常識の中にいるのではなく、自分の中に常識がある

 常識という、とても大きな共通認識があります。これをインターネットだと思ってください。それとは別に家族、会社、部活、バンド、友達、カップルなどの個別の共通認識があります。これらがイントラネットだとします。この一つ一つの関係は別々の『世界』と言えると思います。重要なのはその世界の中に自分がいるのではなくて、それぞれの世界がお互いの中に共通認識として存在しているにすぎないという事です。

どのつながりも原理としては同じで、同じ認識を持っている人数と内容が違うだけです。

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自分の中にいろんな世界のプロトコルがあるにすぎない

常識という大きな枠組みの中に家族やカップルがある訳ではありません。全く別物なんです。ただお互いにどっちも持っているのでその折り合いをつける必要はあります。

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常識とそれぞれの世界は≠でいい。そして価値の優劣はない。

個人の思想はローカルです。自分しか参照する事ができません。そして先ほども書きましたが、常識は一つの共通認識であるにすぎないので、自分自身が常識外れでも全く気にする必要はありません。というかノットイコールで当然です。ですが、原理としては同じでそれぞれ一つの世界であることには変わりないです。常識というのは一番沢山の人が持っている共通認識で、知らない人と関わる時でも使える約束ごとなのでその意味では大切な世界です。人間はそれぞれの中の常識が同じになるように日々気をつけて生活しています。ただ、もしずれたとしてもいくつかある世界のうちの一つですので生きていけない訳ではありません。個人の思想は自分しか参照できないのでちゃんと自分が認識してあげないといけないという意味で大切です。それぞれの世界は価値としての優劣はなく、自分の中に約束事としてそれぞれ存在しているというのがプロトコル層の体系です。

 

この考えがなんの役に立つのかというと、自分の思想が常識と離れている時に「自分は変なのか?」「自分はそれに合わせる必要があるのか?」と思う必要はないという事です。それぞれは別物です。もちろん重なる部分があったり、完全に一致している人もいるでしょう。けどそれはたまたまです。通常この考えがない場合、この世界は一つだと思うかと思います。もしくは自分が信じている世界こそが本当の世界だと思い込もうとする場合もあります。ですが意味づけの世界は自分の中に数え切れないほどの量で存在します。それらを一つにする必要はないです。そして分かり合えない人がいたとしても、それはイコールでなくていいんです。自分の中の世界同士をイコールにする分にはいいですが、他人の世界と自分の世界をイコールにするべきだとは思わない方がいいです。考え方としては新たに自分と相手だけのプライベートネットワーク、要するに世界を構築するという考え方です。

 

ここまでが私の"存在"についての考察です。

長くなってしまいましたが読んでくださった方ありがとうございます。

一気に書いたのでもしかしたら後日加筆修正するかもしれません。

そしてこれは二十数年しか生きていない若造の考察です。不完全な箇所もあるかと思いますので、ツッコミやコメントがあるようでしたらいただきたいです。

私は人間という物がまだまだわかっていないので今後とも考察を続けて生きたいと思います。

 

いじょ!

 

ばいちゃ!