万物に片想い!!(byいわしー)

役者でプログラマーでなまけもののブログ

第六回公演おわったよ〜の話

おはこんばんちは!

 

チクボンです。

 

劇団すらんばー第六回公演「色相環」終演しましたーーーーーー!!!!!!

 

新型コロナウイルスの渦中の中、ご来場くださった方本当にありがとうございました!

また、観には来れなかったけれど応援してくださった方ありがとうございました。

 

今回の公演は本番まで本当に色々な不安要素がありました。キャストである私は演技の事だけ考えてればよかったですが、主宰であるふくしまういちゃんは本当に大変だったと思います。

本番が本当にできるのかという不安、稽古場が確保できない、できても会議目的のみと制約がかかっている、役者・スタッフから感染者が出ないかという不安の中準備が進んでいきました。

集客も難航し、有名芸能人の舞台でも感染者が出たという事で、一度予約をくださった方の辞退もありました。

本番前日も直前でのグッズ販売・面会の禁止、劇場の使用スペースが狭くなることによる演出変更があり、コロナ対策の不備もないよう消毒や検温を徹底するという今までにない対応に注意を払う必要がありました。

そもそも今回はソーシャルディスタンスの関係で席数が少なく、収益度外視・リスク高という状況で演劇をするということで、胃に穴が空いてもおかしくない状況だったと思います。

ですが、観劇してくださった方のアンケートで沢山の方に「こんな状況でも開催してくれて嬉しい」「生のエンターテイメントが久々に観れて良かった」「コロナに負けず頑張って続けて欲しい」そんな言葉をいただけて本当に嬉しかったです。お客様や周りからの批判というのも怖かっただけに安心しました。

無事本番を終えることができたのは主宰の手腕と、いつも明るく楽しい座組みで前向きにいれたから、そして温かい目で劇を観に来てくださった方々のおかげだと思います。

 

脚本について、今回の「色相環」という物語、最初の読み合わせで読んだ時から「激エモやん…。」の一言に尽きると思っていました。ラストシーン女子2人が田舎の夜道でデート→結婚式ごっこ→鬼ごっこっていうのがバチクソヒットして悶絶。これは激エモやんごちそうさまでしたと言わざるを得ない脚本家天才かよという感じ。

エモいっていう言葉は「言葉にできない」みたいな意味合いも含まれているのであまり気安く使うのがはばかられる言葉ではありますが、これはエモいと使わざるを得ない、一番しっくりする表現かと思います。だって素肌に絵の具ついてるのとかエモい以外の表現ある????まぁあえて言い換えるならば「瑞々しさ」と言うべきでしょうか。

アンケートで「もう少し感情的な方が好み」みたいなのもいくつかあって、確かにラストまでは少しテンションの落ち着いたシーンが多い印象でした。しかし、逆に感情的な表現を全面に打ち出した劇が多い中、静かでも魅せられるストーリーというのも魅力なのではないかと思います。そういう部分は個人的には旗揚げ公演「SEEYOUAGAIN」を思い出しました。役者としては静かなシーンでも見入ってしまうような演技を目指すべきなんだろうなと思いました。

ストーリーとしては先ほど散々エモいとい言いましたが、単なる絵面の良さという意味でなく繊細な感情の機微が表現されていてストーリーでも存分に魅せる劇だと思いました。それも含めてエモさというか。

女性が女性を好きになった時、様々なリスクを乗り越えて付き合う覚悟が自分にあったとして、それを叶えた所で本当に相手にとって幸せなのだろうか。そう思ってしまうのは逃げや諦めなのか、それともそれこそが本当の愛なのか。

相手を好きになるというのは自動で訪れるもの。でも一緒にいるためには頑張らなくてはいけない。少なくとも自分の好きという気持ちを理由に相手に何もかも求めたり、好きならばありのままの自分を愛して欲しいというは正常な人間関係ではない。でもそれが愛じゃないの?ダメダメな私でも愛してよ。自分勝手な私の好きにこたえてよ。正常かどうかなんて愛の前では大事なのかな?

でもやっぱりそんな愛は強くなくっちゃ叶えられない。弱い人間の愛を貫くのに強さが必要なんて…。夢だって愛以外の諸々だってあって、そんな世界に住んでて、そんな中で横にいたい、ちゃんと愛し合いたいと思うなら私もしっかり生きていかないといけないのかな。あなたと出会う前の私か、あなたみたいに。

もう一緒にいられない、一人と一人で生きていこうって決めた二人の、最後のご褒美みたいなデート。なんもねぇ田舎の夜道で、初めてかもしれないくらいすっきりした気持ちで笑いあって、けどやっぱり、さよならなんだ。

 

おいー!エモいー!エモエモの実の能力者なのー!?ういちゃんはー!?えー!?

って感じですね!

 

ちなみに脚本はこちらのサイトで2020年8月19日 19:59まで購入できます!是非ご購入を♪

https://gekisura.thebase.in/

 

劇について、今までになく安定していたと思います。メインキャストの2人の真面目さと、各キャストの実力なのだと思います。コロナ渦で稽古が存分でできない中、セリフ量の多い二人が早い段階で自覚を持ってセリフを覚えて来てくれたというのがやっぱり大きかったのかなと思います。私も見習わなくてと思いました。

ショーらしいショーがないということでやはり対話のシーンに重きが置かれていて、そこは実力が試される所だったかと思います。個々のキャラが濃かったのでそこに意識が行ってしまうと自然な会話ができないというのも難しい点でした。

ただ結果的には会話中心と言ってもテンポ良く、個々のキャラの魅力が引き出されていたかと思います。キャストについて一人一人語りたいくらいなのですが長くなるし、直接言える機会があればその方がいいのかな〜とか。もっと色んな演技を観てみたいって思えるし、みんな頭がいいなって思いました。そして楽しい。

 

自分の演技について、正直もっとやれたなという気持ちが強いです。

言うなればキャラクターを貼り付けたような演技で、誰でもできたと思う。自分が見たらきっと下手だなと思う。

 前回の「これにて閉幕。」でキャラクターを演じない演技に挑戦して、その良さ、難しさを知ったわけですが、今回改めてキャラクターの演技をしてみると自分が思っていたより難しく感じました。自分がどんどん演技が下手になっている気がして落ち込んでいましたが、ひとまず劇全体を考えた時に与えられた役割は果たせたのかと思います。

欲を言えば「本当にそいう人みたい」と思ってもらえるレベルまで高めたかったのですが、そこまではいけなかったです。それどころか演技力としては低いと言われてもしょうがなかったかと思います。

演技の要素として「集中力」と「言動」と「ストーリー性」があると思います。全部高い人は少ないですが、どれか一つでも特化していれば刺さる演技はできると思います。

この中で難しい所は「集中力」だと思います。言い換えれば「没入力」。どんな素人でも、もしくは演技らしい演技をしていなくても舞台上で没入していれば「そういう人がいるんだ」という説得力が生まれると思います。そして観客をも劇に没入させる事ができます。しかし演技をしている最中は色々な事を考えなくてはいけません。次のセリフを間違えないように思い出しておく、お客さんにどう見えているか、間違えがちな動きだから気をつかないとなどなど「失敗したら取り返しがつかない」以上考えなくてはいけません。その中で役に没入するという事はとても危険です。なのでその場合はセリフや動きを必要以上に自分に叩きこむ必要があります。それをやろうとしたのが前公演「これにて閉幕。」の樹生。生々しさや、やりとりのリアルさ、一個人感、演技の説得力を高めるために最初から演技をしないという方法をやってみました。演技をしていないのですから「演技っぽい」なんてことはありえないという理屈です。これはある一定の成果はありましたが、やはり危うい感じと拙い部分が多く、やるとしたら相当な練習の上でないと危険だなと思いました。

そして今回の藍染。自分の性格と違う人間なので「演じない」という選択はできません。しかし、ただキャラクターを演じるというのではリアルではありません。キャラを演じるというのは相当な集中力が必要です。他の人の真似をする時、数秒なら可能でも、数十分に渡って一瞬も解除せずやり続けるのは人間の集中力として無理があるというのと同じです。なので自分の中の似ている部分を引き出す、もしくは自分がもしかしたらこうなっていたかもしれないというような考え方で、自分を作り変えるという意識でやるべきかなのかと思います。ただ、今回難しかったのが、今回は「変態」の役で自分の中でパッと浮かんだ「変態」が劇の中であるべき「変態」と少し違っていたという事です。自分の中に「変態」性ならいくらでもあると思っていましたが、今回は少し父性を孕んだ変態の方がいいかなというのと、藍染の女性の綺麗さへの明確な執着というのが水月と真白の、「性愛なのか友情なのか、憧れなのか純愛なのか」というあやふやな感情との対比になればいいなと思い、完全な狂人ではなく、画家としても人間としても確立している父性と異性愛の象徴としての変態という理想像を自分の内面から引っ張り出すというのに無理がありました。これを解決する方法は明確にはまだわかってなく、できる限り理想を集中してやる、いわばイメージの真似っこの演技であった事が今回の演技の曖昧さだったのかなと思います。

また、キャラクター演技で以前に好感触だった「コインランドリーが世界を救う」の黒川さんの演技に引っ張られそうになった事もありました。やはり人間、昔の成功に引っ張られる物ですが、「あの時こうして上手くいったから」とか「あの時の通りにやっていれば大丈夫」「あの時どうやってたっけ」というのでは絶対にいい物にならないと思います。改めて脚本と向き合って感じた物を大切にしないと感動する劇にはならないと思います。

 

今回の劇と絡めて絵画で表すと

脚本がモチーフだとして、演技という絵筆で表す物は、モチーフの質感・性質・本質、もっと言えばモチーフのコア。

これはこうだからこうだというコア。

りんごはなぜりんごなのかというように、

この脚本がなぜこういう脚本なのかというコア。

見えない物が見えてくる。見えていなかった物が見えてくる。

それを描く。ありのまま描くか、伝わるように描くか。

突き詰めていけばそれは美しい。

モチーフはそこにあって変わる事はない。

そこに何を見るか、それをどう魅せるか、

演技というのがクリエイティブなこととされるなら

その部分なのだろう。

脚本も書かない、演出もつけない、音響や照明、舞台美術諸々、

何一つ作らない役者がクリエイティブなのだとしたら、

モチーフを見る目と、それを表す絵筆なのだろう。

 

なんだか長々と偉そうに描いてしまいました。せっかくなので思った事は書き残しておきたかったんです。

 

とにかく!今回は大きな事故なく無事に終演してよかったです。座組みもみんな楽しい人でそれでいて大人?な人たちだなと思いました。次回公演も楽しみ!

ホームページに「色相環」のログも追加されていますのでぜひチェックを!↓

https://gekidanslumber.wixsite.com/gekidan-slumber

そして先ほども載せましたが、期間限定のグッズサイトがオープン中♪

色相環」デザインのアクリルキーホルダーはガチでここでしか&今しか手に入らないのでぜひお買い求めください!↓

https://gekisura.thebase.in/items/31736900

 

最近ブログかけてなくてごめんなさい。また沢山書きたいなぁ。

また書きますね。

 

ではっ!ばいちゃ。