万物に片想い!!(byいわしー)

役者でプログラマーでなまけもののブログ

「嫌われる勇気」を見逃したはなし

おはこんばんちは!

 

チクボンです。

 

今日は東京で少し雪が降りました!

大雪で大変な方々も多いと思いますが、

私は「キレーやな〜」っとただただ

浜松町駅の連絡通路から街を眺めておりました。

雪のいいとこ取りができるなんて、

江戸をチョイスした徳川家康はほんとナイス!

 

けど雪の多い所の方はほんと大変ですよね。

東京でも3年前に大雪があり(といっても全然少ないと思う...)

職場に出入りしていた佐川急便のドライバーさんが

雪で滑って事故って減給されたなんてはなしてました。

 

それはそうと駅の広告で「嫌われる勇気」のドラマの

ポスターがたくさん!

前からきになるなーなんて思ってたけど

新しいドラマが始まるなんてまだ先の話かと思っていたら

こないだの木曜から始まっていたというヒギーキ。

 

「嫌われる勇気」と言えばアドラー心理学について

書かれた本の中で日本で一番有名でベストセラーにもなりましたよね。

私も世間の御多分に漏れず、「メカラウロコや〜」と

感化された一人です。(笑)

 

ドラマ第一話見逃しがしたので

しかたないからツイッターで検索して

感想をみていたのだけど、

「面白かった!」という人もいれば

「それはちょっとちがうんぢゃない...」という人も。

特に本を読んでる方は「誤解されちゃう...」という感じ。

 

母親にも意見を聞いてみたのですが、(母親もドラマはみていない。本はよんでる。)

アドラー心理学は日本ではまだまだ広まったばっかりで

フロイトとかユング、あるいはルドルフ・シュタイナーよりも

まだ知らない人が多い。このタイミングでやると「これがアドラー心理学なのか」と

思ってしまう人が出てきてしまう。

もっとアドラー心理学について知っている人が増えた上でドラマを作り、

それに対して議論が巻き起こり、喧々諤々となるような形が望ましい。

とのことでした。

 

私自身もアドラー心理学をドラマにするのは非常に難しいと思います。

本で書くことだって難しかったと思う。

ここいらでアドラー心理学について概要を話したいけど

それもはばかられるくらい難しい。

なんでかって心のスタンスの話であって

明確な答えなどないから。

「世界はシンプルである。世界が複雑に見えるというならば、

それはあなたが複雑にしているのだ。」という視点のはなし。

「嫌われる勇気」というタイトルからはちょっと想像つかない考え方だけど、これがアドラー心理学の基本理念。

それはとても厳しく、自分にとって都合の悪い話でもあったり...

どういうことかやっぱちょっと書いてみますね。。。↓

---

「全ての悩みはよくよく考えれば対人関係しかありえないんだよね」

「他人の期待を満たすために生きているのは他人の人生を生きちゃってる」

「他人の人生を生きていると他人にも自分のために生きて欲しくなる」

「他人の期待に応えるために生きなくていいよ。」

「ぶっちゃけ他人の人生いきて自分の人生の責任を負わずに、言い訳し放題な人生に逃げてるだけでしょ?」

「ぶっちゃけ周り人のことをいつも考えている気になっているけど実は自分のことしか考えてないんじゃない?←(ここ非常に厳しい!)」

「勝手に他人の人生を生きてるくせに「自分の思うように生きれない」と不満ばかり。「自分は不幸だ」って言ってた方が自分にとって都合がいいもんね。頑張んなくていいもんね。周りの所為、才能の所為、性分の所為にしてさ」

「自分が思い切って行動して全部自分の所為になるぐらいなら自分の人生いきれなくても今のままがいいっておもってるんでしょ?」

「あなたが今不幸なのは自分が進んで不幸な人生を選んだんだよ」

「全部自分の所為だよ」

 

でもさそんなこと言われてもどうしようもないよ...

全部自分の所為なんてそんなの辛すぎるよ。

どうしようもない。私だって私だって私だって...

自分の人生いきたいって思ってるよ!

けど嫌われるのが怖いって自然な感情じゃない?

 

「あなたが嫌われるのはあなたの所為じゃない」

 

えっ!?

 

「あなたのことを嫌うかどうかは相手の仕事」

「相手の仕事奪ってるよ?それ。他人の人生を生きるの好きすぎだって(笑)」

「あなたは自分の人生いきてりゃいいの。あなただって誰かに「わたしのこと嫌わないでぇ〜」なんて言われたら「それはこっちの勝手だろ!」っておもわない?」

 

たしかに

 

「他人が自分のことを嫌うなんてどうでもいいって。相手の仕事は相手のもの。自分は手を出しちゃダメ。その代わり自分の仕事も他人に手を出させちゃダメ」

 

けどそれじゃみんなただの自己中になっちゃう気が...

そんな世界冷たすぎるよ。

 

「そうかもしれない。だから「共同体感覚」が必要なんだ」

「たとえばさ協力するって言葉があるけどあれってみんなで仲良くやるって感じだけど、ほんとは一人一人が自分のことしっかりやるってことなんだよね」

「文化祭の準備とかで仲良いやつ同士で担当わけると、そのときは楽しいかもしれないけど結果的に全然成果上がんなくて結局楽しくない感じになっちゃう。まあ最初から誰かがやってくれるって思ってるから辛くもないけど。」

「それより「そっちはまかせた!」「こっちはまかせろ!」ってやった方が楽しいかと。責任多いけどね。成果のためには嫌われてでもいうべきこと言わなきゃいけない。」

「嫌われてもいいってだけじゃダメでこの例でいけば「文化祭を成功させたい!」っていう気持ちがないとなりたたないんだよね。」

 

う〜んぶっちゃけ「みんなのために」なんて

そんないい人ばかりじゃなくない?

 

「そうかもね。けど相手がどうやって生きるかは相手が考えること。ちょっと辛いけど自分は自分がそう思ってやることしかできないよ。」

「誰かの笑顔が自分の笑顔。そうみんなが思たらみんなが笑える。自分の笑顔のために誰かが泣くのは仕方ないという意味の嫌われる勇気ではない。かといって誰かの笑顔のために自分が泣くこともない。まずは自分自身を笑顔にしようよって感じかな。」

 

それは綺麗事すぎない?

 

「それもわかる。けどもしあなたを嫌ってとやかくいってくる人がいたら「他人の人生わざわざ生きてご苦労様〜プププ」っておもっときゃいいの。嫌うのは他人の自由だけどわたしの人生はわたしのものよって感じ。」

 

う〜ん、やっぱむずかしいかも。

じゃあまとめると、

「他人の期待を満たすため」に生きてはいけないけど、

「みんなの役に立ちたい」って気持ちでは生きてってこと?

 

「その通り!」

 

難しすぎるよそれ...なんか矛盾してるよ...

そんな器用な人いないって...

 

「まあどう生きるかは自分で考えればいんじゃない?わたしはわたしの人生いきるし〜♪」

 

うっ、なんかくやしい...

けどちょっと気がラクになったかも。

いや、やっぱツライ生き方のような気もする。

 

「そうそう難しんだよ!ほんと!」

 

まあちょっとやってみる。

 

「幸せだと思えればそれでいいの。あと自由だと思えれば。窮屈に感じなくていい。世界はすげー広いから。」

---

みたいな感じかな?

いやっ、これ難しいよ伝えるの!

 

自分がアドラー心理学のドラマを作ってくださいって言われたらマジでどうするかな〜?

難しいのは「これがアドラー心理学です。」ってできるもんじゃないことだよね。

人によっても全然ちがう。それに正直当たり前といえば当たり前のことで、

誰でも大人になる過程で徐々にわかっていくことかとも思う。

アドラーは冷静に分析して名前をつけたにすぎなくて。

あと、すでに内容自体は小説や音楽や映画で散々言われていることでもある。

「ロック」っていうのも、ある意味アドラー心理学と重なると思う。

 

自分がドラマにするなら

例えば「嫌われる勇気」を夫婦で読んで、

「素晴らしい!是非実践しよう!」とお互いなるけれど

実践するとなるとすごく難しい...

夫婦のやりとりに始まり、親との関係、友達付き合い、職場の人間関係、そして子育ての問題。

夫婦でもアドラー心理学の捉え方がちょくちょく違くて議論になる。

その後アドラー心理学を実践しようとする人にひとり、またひとりと出会っていくけど、会う人会う人全然ちがう生き方!

「そういうことか!」「それはちがうんじゃないか?」「アドラー心理学ってなんだ?」ってなる。

そして「私の」アドラー心理学を見つけるべきなんだとわかる。

そして最後にはアドラー心理学なんてモノはいらなくなる。

そんなもの必要ない。自分の人生は自分のものなんて当たり前。

自分を「幸せ」だと認めたくなかった頃なんて過去のこと。

今は胸を張って幸せだと言える。

「幸せになる勇気」をもてたから。

 

みたいな。テヘッ。

 

てかさ〜ドラマみてないくせに色々書いちゃってごめん製作陣。

ああ〜見逃し配信あるかな〜?

是非見たい!誰かが作ったという時点で知る価値があるのだ!

 

ではでは。

まぁみんなも寒いから、

あったかくして寝ろよ。(イケボ)←冗談 笑

 

ばいちゃ!